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2005年08月13日

死に向き合うレッスン

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2年ほど前の年末に下の息子がまずかった時期、怖くて家の掃除ができなかったことがあった。
家の掃除をきちんとしてしまうと、何か悪いことが現実になりそうで、怖かったのだ。
その話を”今だから言える”という時になって、友人に話すと、その友人がこういった。

「私も病気だった父を亡くすときには、何度もそういう思いになったけれど、やがてお互いが言葉でなくても お別れの練習ができて、最後には”もういいよ。よく頑張ったね。ありがとう。”と言える気持ちになって最期を迎え、送ってあげられた。」と。

その話を聞いてからけっこう経つけれど、ずっと忘れられないでいる。
そんなすごいことが、私にはできるだろうか。もちろん身内との別れなど来て欲しくもないのだけれど、新盆の今日、夫に先立たれた別の友人を見ていてそう思った。こちらの友人のようにきっと何がなにやらわからないようになると思う。

案外家族で死について語る家庭は少ないのではないかと思う。我が家でもそうだ。誰かが死ぬという話は、ダブーだ。しかし自分がどういう死を迎えたいかとか、どのように見送られたいかなどという話は、真面目に話しておく必要があるとも思う。

最近、いろいろな事件や事故で突然 死というものに向き合わないければならない出来事が多い。
こういう場合は、病気などと違って、全く心の準備も何もできず、逝く方も見送る方もいたたまれない。第三者の立場であっても、どうしようもなくやるせない。

昔のように自宅で最期のお別れをすることも少なくなり、別れの会はセレモニー化してしまって、子どもも人間の死に触れる機会もない。昔は出産も葬儀も人の生き死にかかわることは、全部家の中にあったが、今はそうではない。そういうことが、人が生まれことがどんなにたいへんだけどすごいか、人が死ぬってどんなに悲しくてせつないか、感じずに大きくなってしまう原因ではないか。
死はゲームの中に存在するだけだと勘違いしたら、とても怖い。

明日からお盆。人の死について考えることは、その人がどんなふうに生きたいかにもつながるかも知れない。

投稿者 moritomo : 2005年08月13日 06:04

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