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2005年11月24日
居場所と出番

3月に倒れた母のことを思うとき、いつも「生きがい」について考えてしまう。
よりいきいきと生きるってことは、いったいどういうことなのだろうと思う。
ず~~~っと考えていたが、10ヶ月くらい考えてみてなんとなくぼんやりと思うのが、やはり人は人との絆を感じられないといきいきと生きることは難しいということだ。
年をとると、誰にも気兼ねせずに好きなように生きたいと言う人がいるが、ほんとうにそれでその人は生きがいを感じられるのだろうかと少し疑問に思う。
これは私が若いからかもしれないし、ある程度自分の意思で行動できる現在があるからかもしれないが、やはり人とのかかわりの中でこそ、自分が生きているということを感じることのほうが多いのではないだろうか?
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私自身、長い入院生活の中で、とても状態が悪いときに見舞ってくれたある人が「あなたがいなくても世の中は廻っているからね。大丈夫だから、ゆっくりと休んでください。」と言われた経験がある。
もちろん相手は悪気があって言ったのではなくて、ゆっくりと休みなさいといいたかったのだということもわかるし、それに私しかできないことは、親業と子ども業くらいで・・・それはわかっているのだが。
それを聞いたときの自分自身の落胆ぶりと言ったら、なかった。
誰にも気づかれなかったと思うけれど、とてもみっともなかった。そのくらい自分の心が動揺した。
人に必要とされなくなったら、おしまいだ・・・・とつくづく思った。
元気になって帰っても、家庭以外私の居場所はないのだと思うと、情けなくもなった。
「人とかかわりたくない」と言っている人も、実はその人の居場所と出番があるから言えるのであって、本当にそういうものがなくなったら、きっと寂しいことだろう。
母は、そういう点では来客も多く恵まれているが、若い頃に得意だった編み物で、もっと出番とやりがいを感じてもらいたいと作戦を練っている。
が・・・彼女もなかなか手ごわい(-"-) だからこそ、このまま年をとらせるには、もったいないのだ。
投稿者 moritomo : 2005年11月24日 15:13
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